ゴールデンウィーク
初日4/28にかやふぇしゅへ行って、翌日から長野へ。友人の別荘に泊まって、ゲームやったり温泉行ったり飯食ったり酒飲んだり。
今回プレイしたゲーム一覧。
- コヨーテ
- ラブレター (プリンセスワンダー版)
- Dixit
- Kill Doctor Lucky
- Scythe
- King's Court (Brand New Court)
- 6 nimmt!
Scytheプレイ中。私は白軍。5人プレイだと盤面が狭い…
蓼科湖のあたりへ蕎麦を食いに行った。まだ桜が残っていた。
ちょこっと観光も。諏訪大社上社前宮。東方風神録の聖地なのでカフェがゆっくり。
5/2に撤収してそのまま実家へ里帰り。折角なのでビーナスラインを通り抜けて上信越道から。
5/3は雨なので部屋でごろごろ。
5/4~5は三陸方面へ家族旅行。仙台から義弟の車で三陸道を進む。
根元にはやなせたかし先生画のモザイクタイル。
泊まったのは南三陸町のホテル観洋。
部屋からは志津川湾がよく見える。
後で聞いた話によると、3/11の津波では写真右の島が完全に水没したそうだ…。
カモメやウミネコがやってくるので、かっぱえびせんで餌付け。すっかり慣れている。
翌朝、このホテルの名物「語り部バス」で南三陸町の被災地見学。1時間ほどの行程。
戸倉地区の避難場所。高台にあるのだが、建物の1階まで水没したそうだ(海抜21mまで。建物の窓ガラスに、高さを示す張り紙がある)。時計はこの地区が停電した時刻で止まっている。
小学校跡。跡形もない。
元々、地震で津波が予想される時の避難場所は小学校屋上だった。しかし3/11の数日前、この地区出身の教諭の提言で、避難場所を写真右手の丘にある神社に変更していた。結果、それが児童と教諭の命を救った、というわけ。
地震発生時に老人会が開かれていた宴会場。本来の避難場所まで逃げさせたのでは間に合わない、ということで、屋上に避難させたとのこと。水位を示す青い掲示が取り付けられている。
建物の外から来る津波を警戒していたら、下の階のガラスを突き破って入ってきた水が噴水状に階段を上がり、建物の中からも襲ってきた、という話も。
避難放送を続けていた職員が亡くなった、という件で有名になった防災庁舎跡。ここだけはバスから降りて、合掌してから見学。
なお亡くなった職員は、津波に飲まれるまで放送を続けていたのではなく、その少し前に上司からの指示で避難したそうだ。残念ながら上司共々亡くなった訳だが…。
仙台までの帰路、北上川河口付近にてあの大川小学校跡地を通りがかったので寄っていく。
ひしゃげたスピーカー。
裏手の丘。急斜面にも見えるが、奥側は緩やかになっているし、後知恵で考えればここに登るのがベターだったよな、とは言える。
実際には写真左手の橋のほうへ行ってしまったわけだが。